今まで治らなかった白血病を根治する?3349万円のCAR-T治療

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CAR-Tという治療が3349万円という医薬品の中で最高の値段付けをされたことが話題になっている。「あまりに高価な薬価をつけると医療保険が破綻する」という意見がある一方で、「1回きりで治療が完結するのならこれくらいは妥当な薬価だ」という意見もあります。今後遺伝子治療などで高価な治療が市場に投入されて行くことがほぼ確実視されている中、社会的にも大きな話題なので自分の意見をまとめてみます。
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そもそもCAR-Tって何?

まず、CAR-Tについて紹介します。CAR-Tとは、Chimeric Antigen Receptor T-cell Therapyの略です。人間の免疫を担うリンパ球の一種であるT細胞に特殊な遺伝子を導入することで、がん細胞を攻撃する治療です。がん細胞といってもどんながんでも治療できるわけではなく、導入する遺伝子の種類によって特定の種類のがんの治療ができるようになります。がん細胞が持っている特徴的な「顔つき」を認識して攻撃を始めるような機能を持たせることで、治療効果が得られるようになります。2つの異なる遺伝子を融合させるのでChimeric(キメラ)、それががんの顔つき(抗原)を認識する受容体の役割を担うのでAntigen Receptor、というのが名前の由来です。
 
CAR-T細胞を作るためには遺伝子編集技術が必要になります。まずは患者さんから細胞を採取して、その細胞に遺伝子導入を行って増殖させます。この操作にお金と時間がかかります。その後に細胞を体内に戻してがん細胞を攻撃させます。
 
以前にもCAR-Tの開発をしているAllogenes therapeuticsという企業を記事で取り上げたことがありました。
 
 
(NIH – National Cancer Institute)

どういう患者に使うのか?

 
特定の種類のがん細胞を攻撃すると述べましたが、今回日本で初めて承認された治療の対象は、B細胞というリンパ球が癌化する急性リンパ性白血病とびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫という種類の悪性リンパ腫という病気です。このがん細胞に特徴的なCD19という分子をCAR-Tは認識して、がん細胞を破壊してくれます。
 
厳密には、CD19はがん細胞でないB細胞も持っている分子なのでCAR-Tは正常の細胞も破壊してしまいます。しかも1度入れたCAR-T細胞は自ら増殖する能力も持っているので一旦体の中に根付いてしまえばその後も体のなかで増殖してがん細胞を破壊し続けてくれます。理論的には。
 
かなり高度で高価な治療ではあるので、上で述べた病気の患者さん全員に使うわけではありません。白血病やリンパ腫自体はすでに標準的な治療法があり、抗がん剤や骨髄移植などで治療を行います。日本で1年間に発症する患者さんはB細胞性の急性リンパ性白血病が約5000人、びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫は約1万人です。(国立がん研究センター:がん統計がん情報サービス)その全員にCAR-T治療が行われるわけではなく、あくまで難治性の患者さんのみが対象になるため、1年間での治療数は250人程度が見積もられています。(ノバルティス株式会社)
 
 

どれくらいの効果が見込めるのか?

 
最初に治療が適応された急性リンパ性白血病での話を紹介しようと思います。New England Journal of Medicineで昨年出版された論文(DOI: 10.1056/NEJMoa1709919)ではCAR-T治療を行ったリンパ性白血病の患者の経過を5年にも渡って追ったデータが報告されています。そこで報告されている内容の要点としては以下の通りでした。
 
・83%の患者で完全寛解(白血病が目に見えない状態にまで減ること)が得られた
・ただし、半分の患者は12.9ヶ月で死亡。合併症や再発も含めた大きなイベントなく生存できる中央値は6.1ヶ月。
・治療前の白血病のコントロールが良い患者群のほうが治療成績が良かった。
 
生存曲線を見ると、少数ではあるものの長期間再発していない患者もいることがわかります。生存曲線は縦が生存している患者の割合、横が期間を示しています。
 
CAR-Tで治療した後に骨髄移植を受けた患者もそれなりの数がいるため、CAR-T単独での治療成績とはある意味言えないという側面もありますが、治療が無ければほぼ確実に死亡していたであろう患者が生存できるようになったこと自体が大きな発展といえます。ただし、CAR-Tを行い白血病が一度寛解した患者がたとえ80%いても、その後に再発したり亡くなったりして、元気に生活を送った人は限られているというのも事実です。
 
 

トータルの医療費としてどれくらいを見込むのか、どのような施設で治療が行われるようになるのか?

米国でのCAR-T治療(Kymria, Novartis)は47.5万ドルという値段が付きましたが、米国では治療1ヶ月後の効果に基づいて支払いが決定されます。つまり治療が成功したケースのみ支払いが行われます。8割という寛解率からは、約8割の患者は実査に支払いが発生しているとは思われますが、上の生存曲線が示すとおり、1ヶ月経過後に再発したりして数年以内に死亡してしまう患者も多くいるため、支払いが発生するような成功≠長期生存です。
 
日本でのキムリアの保険価格は3349万円でした。日本では成功報酬型の支払い方式は採用されず、治療が行われるたびに支払いが発生します。おそらく、米国と同じようにリンパ性白血病での寛解率は8割程度と思われます。年間の治療人数は最大で250名程度を見込む(白血病、リンパ腫含む)ようなので、100人以上は一時的にせよキムリアの使用により命が救われるということになるはずです。
 
単純な計算では、キムリアの売上高は84億円程度になるはずです。CAR-T治療はその準備の複雑さや治療後の合併症の管理の必要性から、高度な医療設備を備えた施設でないと治療ができないため適応外の乱用がされる可能性は低く、売上高はこれを大幅に超えることは無いと思います。
(※2019/6/4追記:売上高以外にも副作用の治療などで増える医療費の分も含めるともっと医療費は増えます。米国では数千億規模の医療費が増えるようです。)
 
これを売上高がトップクラスの医薬品と比較してみます。国内医薬品売上高ランキングを見るとリリカ(鎮痛剤)、アバスチン(抗がん剤)、オプジーボ(抗がん剤)、ネキシウム(胃薬)、アジルバ(降圧薬)などの薬がトップランキングに入っています。これらは700億円-1000億円の売上となっています。
 
オプジーボなども一年の薬価が非常に高く承認されたことで知られていましたが、適応が広がるに連れてどんどんと薬価が下げられていきました。リリカやネキシウム、アジルバなどは単価はそこまで高くありませんが数十万人〜数百万人が内服していることで売上高は非常に高くなっていますね。
 
ちなみに、一昔前は高脂血症の薬がランキングに入っていましたが現在は特許切れのため入らなくなっています。いずれリリカやネキシウム、アジルバなども後発薬に取って代わられるだろうと予測されます。
 
セールスだけの観点からは今回のキムリアの承認だけでいきなり日本の医療費(40兆円を超えています)が圧迫されるわけではありません。しかし同じように高額な治療が他にも多く承認されて行くとちりも積もれば山となるように日本の医療費は確実に増え、保険の負担は重くなっていくと予想されます。以前厚生労働省の医系技官の知人(医者出身の官僚)に話を聞いたところでは、日本の薬剤承認の基準に費用対効果(cost-effectiveness)は入っていないとのことです。2019年の時点でも入っていません。
 
イギリスのように費用対効果を基準に保険適応を決定する国では残念ながらCAR-T治療の保険適応は見送られたようです。
※(2019/6/4追記:最近CAR-Tの費用対効果について書かれた論文(DOI: 10.1200/JCO.18.02079)を読んでいたら、一旦リジェクトされた後、イギリスでもCAR-Tは承認されたようです。)

他の高額な治療について

2019年5月25日、ノバルティス社の神経疾患に対する遺伝子治療がアメリカで承認されて、1回の治療費に2億円という世界最高値がついたことが話題になりました。(Reuters
 
この遺伝性の神経疾患は治療しなければ生後数ヶ月で筋力が弱まり呼吸もできない状態になり赤ちゃんは死んでしまいます。
 
そして、この疾患に対する新規治療薬AVXS-101の効果は2018年の米国神経学会で報告されています。2019年には論文化(doi: 10.1007/s12325-019-00923-8)もされています。報告では既存の治療のnusinersenとの比較が示されています。既存の治療を行っても人工呼吸器の生活になったり時に死亡してしまっていた患児は観察期間では100%生存して自力で呼吸もできるようになったそうです。
 
患児が成長した後にどの程度のレベルでの生活ができるかは今後何年もフォローアップが必要ですが、仮に一生動くこともできなかった人が普通の人に近い生活が遅れるようになるとしたら米国はその医薬品に2億という価値をつけるようです。AVXS-101を開発した企業は1兆円近い価値で買収されています。
 
CAR-TやAVXS-101は1回あたりの治療費という意味ではインパクトは非常に大きいですが、すでに使われている治療でもそれに匹敵するくらいに高額なものは実はたくさん存在しています。年間に1000万円近くかかる抗がん剤は何種類もありますし、数百万円の抗がん剤の治療を毎年受けることでほぼ確実に生存できている人や、毎年数百万円と多大な時間をかけながら透析をしている人も数多くいます。これらの治療を受けている人は高い医療費を払うために仕事もしている方多い状況です。彼らの生涯にかかる医療費はおそらく数千万円から1億円以上になるでしょう。

所感

そもそも保険が世の中にある理由としては、高額な医療費が必要になった時に治療費をまかなうための互助の仕組みです。多くの病気の発症は予測できないもので、高額な治療に批判的な人もいざ病気になって治療が受けられるようになると保険による恩恵が実感できると思います。ただ、「健康保険に入りたくない」とか、「自分はそこまで高額な治療は受けなくて良いので健康保険料を安くしてほしい」、という意見もあると思います。
 
今のところはまだ医療システムはうまく回っていますが、日本の経済に対する医療ニーズの伸びを考えるとどこかで新しい治療を諦めなくては行けない時が来ると思います。一度その時が世界に訪れると新規治療は金持ちしか使えなくなる一方で開発コストを回収できなくなる企業は開発をやめ、利益率の大きい製品にポートフォリオを集中させ、医療界全体が停滞する時が来るような気がしています。ちなみにそれは一部ですでに始まりつつあります。
 
米国のように健康保険も自身で加入することがあるような国では、治療できる可能性があっても保険の関係で治療できなかったり、治療しても高額な治療費のために破産する方も数多くいます。一方でイギリスのように医療費の自己負担がない国では医療費の心配をする必要はありませんが、最新の高額な治療はうけられなかったり、病院に殺到する患者が多くそもそも診療までのアクセスが悪いことが問題になっています。(ちなみに、イギリスのように全員に無料で提供される医療は保険ではなく税金で賄われています。)
 
日本の状況はその中間といったところで、安価な医療を受けられるし、いつでもすぐに専門医レベルの診療を受けることができることは患者側にとっては非常にメリットが大きいところだと思います。一方でシステムを維持するために徐々に下がる診療報酬により中小の病院は経営がうまく行かなくなる、医療者の時間単価は下がる一方で医療者の労働時間は多大になりヘルスケアプロバイダー全体に疲弊感がただよっています。連日のブラック病院の報道や医療者の過労死などが日本の状況を物語っているようです。
 
あちらを立てればこちらは立たず。患者も病院も保険者も保険支払者も医療者も製薬・医療機器企業も全員が満足するよう医療システムは実現が難しいと言われています。医療従事者としては世の中に自分の能力を還元したい気持ちは大きいですが、一方で自分や家族の生活や命も守らなければならないのでシステムはシステム、自分の行動は自分の行動として割り切りたいと感じています。

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