間違った医療−医学的無益性とはなにか−(ローレンス・J・シュナイダーマン)

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間違った医療

2度と意識が回復することが無い患者の命を繋ぐために胃瘻を造る、不治の病の患者が急変したので大量の医療資源を投入して救命を図る、無脳症で生まれて、育つことの無い新生児に大量の医療資源を費やして生かし続ける。シチュエーションにもよるが、これらの医療の殆どは患者にとって利益をもたらさない。いわゆる植物状態の患者に胃瘻を作ったからといって以前と同じように話したり笑ったりすることは無いし、救命措置で命を繋がれた末期がん患者もいずれは死にゆく運命にある。

こうした医療行為に対しては、「意味ないよね」という見方もあれば、「生きてるだけでも嬉しいからやってほしい」という家族の意見などもあり、明らかなものを除けば常に医療現場ではどのような対応をすべきなのかが議論になるものだ。

本書は米国カリフォルニアにあるUCSDの名誉教授である医師が書いた本で、患者に利益をもたらさない医療行為を行うべきでないと説く。著者によれば、無益な医療とは、提供することで患者に利益が発生しない医療行為、というようなもののようだ。

医療費がここまで注目される理由

医療費が高騰する及ぶ米国では、次々と新しい医学により創薬や医療機器の開発がなされることや医療に関わる費用の高騰で年々と医療費は増加している。日本でも医療費の高騰が問題になっているが、米国はペース・規模ともに日本の比ではない。2020年では米国のGDPの18%が医療費になっている。GDPが21兆ドルだから、医療費だけで日本円にして400兆円以上使われていることになる。かたや日本の医療費は2020年で42兆円なので、総額にして約10倍、一人あたりで換算しても3倍以上が米国国民の医療費に注ぎ込まれていることになる。なお、本書における「無益」とは、医療提供側が金銭的に受け取る利益とは全く関係が無いことに注意して欲しい。

U.S. health spending as share of GDP 1960-2020 | Statista
Health spending in the U.S. accounted for 18 percent of gross domestic product (GDP) in 2020, roughly the same share as in previous years.

高騰する医療費は常に米国の問題で、医療費による破産や医療サービスを受けられない無保険者のような、日本ではほとんどおこらない問題が米国では問題になっている。オバマ大統領の鳴り物入りで始まったオバマケアは無保険者を減らすことにある程度は貢献したが、医療費は高騰するばかりである。当然、人口が増え続ける社会で、高齢者も増えたり、救える疾患が増えれば、医療費の総額は上がっていく。しかし、自由を重んじる米国では、日本やイギリスのように皆保険にして政府がある程度統制するという流れは、一時的に盛り上がっても結局は議会の案を通ることは無かった。米国では医療行為のコントロールを図る主体は根本的には医療保険会社にあると思っても良い。患者は医療保険を買い、その医療保険で賄える医療サービスの範囲内で病院からケアを受けるためである。

Pay for performance

ある程度の倫理的な統制はあるが、保険会社も商売なので、同じ金額を払うのであればよりパフォーマンスが高い医療行為には支払いをしても、そうでない医療行為にはあまり支払いたくはない。国民の医療費負担を懸念する医学研究者も、政府も、同じ費用を払うのであればより効果が高い医療が優れている、と考えるのは当然である。そうしたこともあり、この数十年間、医療は職人が感覚的・慣習的に行うものから離れていき、標準化が行われ、エビデンスが構築され、ガイドラインが整備される様になった。

コストという観点からは、医療行為に対してICERという費用対効果を表す指標が算出されるようになり、命を救うためにかかる費用が不完全にせよ示されている。このような研究や、早々と命を落とす国民に注目が集まり、病気になってから高額な医療費を支払うよりは、そもそも病気にならないような生活習慣をして、病気を予防していこう、というのが現代ではトレンドになっている。保険会社も医療費が発生する前の段階で介入が可能な予防手段を被保険者に提供するようになっている。

ゼロはどこまで行ってもゼロ

と、まあここまでは一般的な米国の医療界隈の現状であるが、本書の主題に立ち返ろう。無益な医療から患者が得られる効果はゼロである。医学における費用対効果は一定の効果を得るために必要な費用で示されて(費用)/(効果)で計算される。いくらコストをかけようと、効果が0であれば費用対効果は算出することはできない。無益な医療をいくら提供したところで患者が享受する利益は0である。だからやめましょうね、というのが本書のテーマではあり、利益をもたらさない医療行為のことを「Wrong Medicine」とまで言い切っているのが潔いくらいではある。

しかし、現実的に医療現場ではこのような医療行為はそう簡単には無くならない。医療現場を知らない医療経済学者であれば、このような薄っぺらい議論で満足するかもしれないが、実際の医療現場における意思決定はそうは行かない。

そもそもその医療行為がどの程度利益をもたらすかは実際にやってみないとわからないことが多い、医療資源をたくさん費やして命をつなぎとめた患者をそう簡単に諦められない医療者の思い入れ、家族との永遠の別れをすぐには受け入れられない家族の思い、などの様々な要因が絡まって、時として誰も得をしない泥沼の戦いに陥ることがある。

米国ではいわゆる延命治療を途中で中断することもできるため、無益な延命医療であると判断した後に治療行為を中断するなどして対処が可能である。医療行為を行うときにちゃんと期待される効果を考えて、ゼロであればやめましょう、仮に医療行為を始めた後でも再評価して無理になったらやめましょうね、というのが本書を通して伝えられる。このメッセージを伝えるために生々しい事例がいくつか紹介された後、医療に関わるステークホルダー毎へのメッセージが書かれている。

無益な延命治療は、命を永らえさせる行為ではなく、死ぬスピードを緩めるだけだという言葉はなかなかに響くものだった。

それでも明日も無益な医療行為は続く

理屈はわかっていても、先に述べたステークホルダー毎の意見の衝突などもあって、本書が理想とするようなムダのない医療が完璧に実現されることは無いだろう。本書にもいくつかの反論が指摘されているが、自分の意見を述べておきたい。

本書における無益な医療というのは、1%あるいは3%の確率で効果がある、というような確率のことを言っているわけではなく、何回やってもやっぱり効果が得られない医療行為を糾弾するものだ。実はゼロをゼロと言い切るのは難しい。

流石に普段医療現場で働く医療者の中で、死体を墓場から引きずり出して点滴したら歩いて家に帰れることを期待して治療をするような人はいないだろう。それは医療者でなく呪術師だ。ただ、実際にここまであからさまな状態は無く、実際の患者を目の前にして正確に治療の効果についてオッズをはじき出せる医療者はほぼいない。ゼロと言い切るのはそれまでに相当無駄なことをやってきた人間でないと言い切れないだろう。それでもまだ十分でないと言うならば、いちいち”無駄な”医療行為の無駄さを証明するためのエビデンス構築に多量の労力を注ぎ込む必要がある。理論ではわかっていてもある程度の無駄を経験しながら、批判されたり絶望したりして成長していくのが医療者の成長であり、卓上の勉強だけを判断材料にした医療も患者を始め当事者が望むところではない。

また、本書はあくまで米国の話である。日本でも同じような懸念はあるものの、本書で”無益”と切り捨てられているような医療行為ですら基本的には正当な医療行為として国から認められて医療費の一部はそこに注ぎ込まれている。日本の慢性期の病院に行けば二度と喋ることの無い老人がベッドに横たわり甲斐甲斐しいケアを受けて生きているし、絶対に成人することのない先天異常の新生児は全力で生かされ、最期には「頑張ったね」と言われて見送られている。もう少し曖昧な所まで行けば、かなりの無益な医療行為が当たり前のように行われているようにも思う。しかし、これらに対しては保険医療制度によるブレーキがあるわけでなく、医療者の高潔な倫理性に一任されているという形になっている。国民性的にも、本書で述べられた医療が満場一致で受け入れられるような気は全くしない。

もっとも、2020年から始まったCOVID-19の流行のピークでは医療機関では明らかに命の選別は行われていた。重症者が増えるに従い、人工呼吸器はおろか酸素を送る機械すら足りなくなった病院では医療の提供の限界を迎え、より救命の確率が高い方向へ、全体的な利益が大きい方向へと判断をせざるを得ない状況になっていた。そして、救命確率が低く重症化しやすい高齢者では大量の医療資源を消費する医療は受けられない状況になった。物質的な需給バランスの崩壊が起きてしまえば、日本ですら、誰しもがこのような医学的な有益性を重視した医療を受け入れざるを得ないことはパンデミックが明らかにした。

次はすでに限界に来ている人的資源の枯渇で日本の医療が変わっていくのだろうか。特に政策には期待していない。未来の医療はここで書かれるような理想的なものになりえるだろうか。

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