現代では学位に裏付けられた頭脳労働が重用されている。現代人は過去と比較したときに徐々にIQが高くなるという現象(フリン効果)が知られている。そして、大学卒業以上の学位を持つ人の割合は過去に比べて非常に高くなっている。高給な職業は大学卒以上の学歴を持つ人材によって占められている。頭脳労働が重要視されたことが社会全体のダイナミズムを生んでいるようにも思われる。
一方で、学位を持たずに技術や思いやりで成り立つような仕事、例えば看護や介護のような分野、技術職はあまり評価されていない。頭脳労働が生み出す報酬に比べて、これらの仕事の一部は過去数十年に渡って収入の伸びが少なかった。
しかし、増えすぎた学位は必ずしも学位取得者に恩恵をもたらさない。アカデミアのヒエラルキーの下層の大学を卒業した人は大学に行かなかった場合と比べても高い収入が保証されているわけではない。高い学歴を持つ人は高い収入を経て、その子供は親と同様に良い学校に行くようになった。ただし、そのような恵まれた環境で育ったとしてもヒエラルキーのトップに空き席は少なく、上り詰めるのは難しい。
本書の著者はこのような「頭」の労働の偏重から、「手」や「心」が重視される仕事の待遇や名誉を回復すべし、と本書の中で議論する。
確かに、国々で広がる格差社会を見ていると、労働者のキャッシュフローの違いは非常に大きい。専門的な仕事はその代替不可能性から仕事への報酬のプレミアムがつくのはもちろん分かるが、学位に裏付けられていないだけでスキルが必要な仕事からは、労力に見合う報酬が得られていないような状況も多い。医療職でいっても医者を頂点としてその他の職種での収入差を見てみると知らない人が見ればびっくりするかもしれない。
本書が問題にする事象は結局は「格差問題」であり、その中でも学歴によって裏付けられる格差、特に不遇な仕事の待遇を改善せよ、というのが本質的に思われる。確かに不遇な仕事の待遇の改善に関しては社会課題であり、政治家がより本腰を入れて取り組む問題に思われる。しかし、本書が目指す状態はいまいち具体性と経済的な理論的根拠にかけるよう印象も受けた。まず、世の中の格差については学歴による労働キャッシュフローの差は問題ではあるが、どちらかというと資本家層と下流労働者の格差のほうが問題に思われる。もちろん、そう思ってしまうのは本書に何年も先行してトマ・ピケティの「21世紀の資本論」のような本を始め、数多くの格差を扱った学者の主張によるバイアスもあるかもしれない。また、コロナパンデミックに糸口が見え始めた2021年から2022年において、アメリカでは働き手不足による人件費の高騰が問題になっている。本書の議論からすればこの人件費の高騰はむしろ社会課題の解決なのだが、インフレはあるにせよ結局労働者の賃金は受給で決まるというのが明らかになってしまっている。
そんな他の書籍からの意見なども踏まえて、最終的に本書の中で学びになったことといえば、高等教育の普及によって学位が乱発されるようになったが、学位を取得するのであれば、それが本当に自分の人生を豊かにするのかどうかをよく考えなければならないということだろう。大学卒の平均年収は高卒よりも高いかもしれないが、同様に上位大学卒の平均年収も下位大学卒の平均年収よりも高い。ある意味、高度なスキルが要求される未来の世界では行かせないかAIを始めとする技術にリプレイスされる将来しか得られらないのであれば無理に学位を取ろうとする人は減っていくのかもしれない。
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