教養としての「中国史」の読み方(岡本 隆司)

Book

本書は、中国の王朝が起こり始めた頃から現代までの歴史を俯瞰するとともに、主にその背後にある中国人特有の思想、つまり儒教的な解釈を提供する。キリスト教のヨーロッパ、イスラム教の中東に並ぶようにして、儒教の考えは中国人の行動の根底にあるという立場が本書では特徴的だ。

スポンサーリンク

儒教に根ざした中国的イデオロギー

儒教の考えとして本書で特に強調されているのは、士と民を二分したり、中華と外夷を二分するような二元的な考え方や、進歩的な考えを拒み過去を良いものとして重要視して生きる姿勢、文を尊しとして武を卑近なものと考えるあり方などである。

このような儒教の考えは中国の王朝の支配下で徐々に浸透していった。さまざまな政治の動きについても、儒教的な考えの背景を示すことで、中国史が読めるようになるだろう、という立場で本書は描かれる。日本人は異なる価値観を共有していることが多いために、中国的な考えを理解していないと、中国人の行動は理解しがたいものになるという。

王朝の変遷と科挙制度

中国といえば漢民族というイメージが強いものの、中国では度々他の民族出身の皇帝が生まれている。政治的な大きな方針は王朝ごとに異なっていたが、その中で1000年以上も登用されつづけた、科挙を突破した士大夫による官僚制度についても、非常に儒教的な考えの影響が強いというのは興味深いエピソードである。現在の共産党習近平政権では収賄は強く糾弾されているが、中国の官僚にとっては歴史的に賄賂はごく習慣的にもらうものだったというエピソードは特に印象的だった。

また、過去の気候変動と王朝の政体の弱まりとの関連を見出し、外の民族の侵攻を許して王朝が切り替わった経緯も説明され、自分としては今まで教科書的に知っていた王朝の切り替わりについては斬新な解釈だと感じた。

残念ながら本書を読むだけで現代の共産党政権がどのような考えに基づいて今後の政治を行っていくのかは予想するのは困難である。しかし、毛沢東が共産党政権を打ち立てる前の、清の終末期の袁世凱と孫文の争い、その後の国民党と共産党の争いの終焉についての経緯や、一つの中国を目指す一方で抱える地方間の多様性から導かれる現代の政治体制については中国史に不慣れな自分にとっては比較的納得感があった。

疑問点

本書を通じて語られる儒教的な価値観は、確かに中国史を俯瞰的に解釈するのには良いが、一方、それだけでは説明できないのでは、と思うことも少なくはない。特に、武が儒教的に卑下されるという記載については、儒教的には正しくとも、必要時には度々行使されてその勝者が政権を奪取しているという点ではあまり説得力を持たないように感じた。また、モンゴル帝国の時代において、領土拡大の際には実際に戦闘が行われることは少なく、少ない死者で勢力図を広げていったような記載があるが、ピンカーの暴力の人類史を始め、戦争に関する記録を見る限り、モンゴル帝国の領土拡大においては3-4000万人という当時にしては莫大な犠牲の記録がある。他にも中国史を通じて相次ぐ戦争と、それに伴うおびただしい犠牲者を見ると、武が儒教から卑下されるとしても武に否定的な政権では政体を維持できていないように思われる。

最後に

米中の緊張の高まりとともに中国関連の書籍をよく読むようにはしているが、本書に記された儒教的な考えを知ることで、これまで不可解にも思われた中国の謎めいた行動や習慣のいくつかについては理解ができるようになるだろうと思う。

コメント