AI vs. 教科書が読めない子どもたち(新井 紀子)

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「ロボットは東大に入れるか」というのは何年か前に話題になった研究テーマである。AIが急速に発達しているという現代、世間の期待は高まったが、結果的には東大合格というレベルは達成できなかった。研究の期限自体は2021年までというので最終報告で更新される可能性はあるが、Webサイト(https://21robot.org/progress.html)でも2016年の模試の結果までしか示されていない。

本書はこのプロジェクトに関わる新井紀子氏が、プロジェクトを通してみた、AIの課題解決に対する可能性と、中等教育の生徒の読解力に関するハードルについて書いたものである。

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シンギュラリティは来るのか?

「シンギュラリティ」という、10年前はほとんど誰も聞いたことがなかった言葉は、現代では、少しでもニュースを見るような人ならば誰しもが聞いたことがある言葉になった。シンギュラリティとは、「人工知能が人間の能力を超える」転換点を意味する。Googleに所属する有名な人工知能研究者レイ・カーツワイル氏が提唱したとされる。

昨今のAIブームを見るに、シンギュラリティを信じている人も少なくない。しかし、本書の立場は異なり、AIは特定のタスクを処理する能力であれば人間と同じか優れた性能を発揮するものの、汎用性があるわけではなく、全ての問題を解決できるわけではない、と主張する。

現代のAIの限界点

シンギュラリティは近い将来には来そうもない、というのは、現代のAIが使用する、ベイズ統計学に基づいた機械学習のアルゴリズムから推測される数学的な限界から導いた意見とのことだ。コンピュータは四則演算を元に複雑な計算を行うが、論理的、統計的、確率的処理しかコンピュータが処理可能な数式に入れ込むことができない。そこからコンピュータで処理するアルゴリズムの限界点が見えてしまうそうだ。

有名な、Googleが買収したDeep Mindが作るAIは、非常に複雑なゲームである囲碁でトッププロを破る程の成果を挙げているが、結局は前述の仕組みに落とし込んでいるだけである。Deep Mindが作り出した、音楽を生成するAIについても本書では触れられているが、一見それらしいフレーズを作り出すまでにはAIは到達しているものの、音楽の背後に潜む、一貫したテーマといった芸術性までは表現できていない。これもコンピュータはあくまで確率的処理を行っているという事実による。

日本の受験問題を解くAIも、何年間かの研究を経て得られた成果は、中堅私大(MARCH)程度に合格するくらいの試験成績だったとのことだ。しかも、得意科目と苦手科目が存在する。得意科目として挙げられたのは、コンピュータのアルゴリズムで解きやすい数学や歴史の問題だった。一方で、コンピュータのアルゴリズムが苦手とするタイプの問題が含まれる科目の成績は伸びなかった。

コンピュータにできないことというのは、「意味を理解する」ことだそうだ。文章を読んで文脈を推定したり、文章を比較したりするといった能力にもつながる。映画や小説で登場するようなAIというと、人間の感情が理解できないというのがつきものだが、それとは全くレベルが異なっている。最近の、会話ができるタイプのAI(Siriなど)は受け答えをしているとはいえ、それは論理演算などを行って呼びかけを処理して返答を返しているに過ぎない。

しかし、そんなAIですら、大学受験生の上位20%に入れる、というのも一つの事実である。本書に記された目を引く内容は、コンピュータが苦手とする文章の解釈は、同様に中等教育を受ける生徒も苦手としているという事実である。

読解力の無い子供と大人

AIのプロジェクトと並行して、中学生以上を対象にして読解力を測定するテストが行われた。テスト内容は本書にも例が示されているが、流石に高等教育を受けていれば普通に読み解くことはできるレベルのものだった。しかし、全国の中高生を対象にテストを行ってみると、素直に文章が読めれば正答できそうな問題ですらAIと同様かそれ以下のレベルの生徒が多いことが分かったという。

中学生は学年を経ると徐々にテストの成績は上がったようだが高1・高2ではあまり変化はなかった。そもそも文が読めないのでは教科書から学び取ること自体の障害になってしまう。読み書きの基本の習得率の差は教育現場でも特に問題になっているようだ。

有名進学校の東大進学率が高いのは、12歳時点でのリテラシーが高いために自分で勉強する素養があるためであり、学校教育の質のおかげではない、ということが統計的に暗示されていたことには思わず笑ってしまった。実際、超有名な進学校出身の友人によると、こうした進学校では受験対策のような授業はほとんど行わず、受験に対しては生徒が学校外で勉強するのがほとんどとは聞く。また、難関大学の文学部や法学部の合格者では、中高生の頃から妙に難しい哲学書などを読みこなすような人も珍しくない。

本書でも読解力テストの成績が大学進学先の難易度によく相関していると述べられているが、たしかに個人的に思い当たる人々を思い返しても、いわゆるリテラシーが低いと進学は難しいだろうし、一方でリテラシーが高い人間は高等教育の中でも頭角を表していく率が高い。受験に関しては一定以上のリテラシーがあれば知識の詰め込みとパターン認識である程度対応可能だが、高等教育以上では塾や参考書のような手段は限られるからのように思われる。

一方で、リテラシーが向上しないまま社会に出る人もいる。本書で出てくるような文章の解釈ができない人は大人であっても多い。twitterなんかでも、会話のすれ違い、文章の誤解釈、データの解釈不足などなど、意味不明な人間も数多く見受けられる。一方で、短い文字から正確に意味を読み取り、背景まで合わせて解釈して返答できる人もいる。本書の読解力調査は大学生以上にも行われているが、大人であっても基本的な読解能力には大きな差があるのは同感である。年をとったからといって能力は勝手には向上しない。ただし、幸い大人であっても能力は向上するようだ。

AIは我々の仕事を奪うか?

発達したAIはどこまで人間の仕事を代替するのか、というのは本書を通じてAIの性能、人間の能力を考察した末に関心が寄せられるところだ。本書執筆時点でも奪われやすい仕事、奪われにくい仕事は挙げられている。数学者の視点から、「人間らしい」仕事は奪われにくいだろう、とされているが、これがどういったものなのかは本書を読んでじっくり考えたいところだ。

一方で、21世紀のワークスタイルにおいて、データとAIをどのように有効に活用するかは重要な課題になると思われ、利用する側は、数学的な教養も必要になるだろうというのも筆者の意見である。今後も私達は幾度となく訪れる社会の大きな変化に対応できる程度に学習能力を維持して行かなければならないのだろうと思う。

ところで、本書を読み通してみて、全体を通して一貫したテーマについて論理的に明快な文章で書かれていることに気づく。読解力がテーマになっているのも影響しているのか、数学者らしく物事の対応が分かりやすい良い文章だった。安易なタイトルをつけられた本では、筆者の論理が破綻していたり途中から論理が飛躍して最後はとんでもない方向に話が飛んでいるものも見られるが、本書はAIと人間の能力というテーマに沿って書かれた良い本だと思う。尚、人工知能は日進月歩の技術で、本書がでてたった2年の間にも技術は発展しているため、読むなら色褪せる前に早めに読んだほうが良いだろう。

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