失われてゆく、我々の内なる細菌(マーティン・J・ブレイザー)

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体に住み着く常在菌

清潔に、清潔に、とはよく言われるが、人間の身体には至るところに細菌が住み着いている。皮膚や大腸、胃、膣など至るところに細菌が住み着いており、その量は1キログラム以上にもなる、と言われたら不安になる方も多いのではないだろうか。

だが、安心してほしい。体内に住み着く細菌は必ずしも危害を加えるものではなく、人間の体を利用しながら住み着いているだけで、むしろ体が上手く機能するために活躍すらしている。こうした細菌は人ごと、臓器ごとに特徴的なパターンを作り上げている。このような細菌叢はマイクロバイオームと呼ばれて近年注目されるようになってきた。本書はマイクロバイオームの研究者が書いた人体に住み着く細菌の話である。

常在菌が果たす役割

前述したように、人の体には様々なパターンで、多様な細菌が住み着いている。このパターンは比較的人生の早い段階で確立する。細菌が住み着いて、分泌する物質は臓器の環境を整えるのにも役に立つため、人が調子よく過ごすためにはこれらの細菌とは切っても切れない関係にあるという。

自分の知識の範囲ではあるが、多くの細菌が具体的にどのように役割を担うのかはまだまだ未知の領域ではある。ただ、著者が専門的に研究に関わっていたピロリ菌は一般的にも有名な細菌なので耳にしたことがある方も多いだろう。ピロリ菌は胃の中に住み着き、胃十二指腸潰瘍や胃癌の原因として有名な細菌である。人間ドックを受診する方からしてみれば、自分の胃の中に住み着いていたらどうしようと気が気でないことも多い。確かに、ピロリ菌は現代人にとっては有名な病気をもたらすことで悪名高いものの、人間の長い歴史の中では役割を担っていたという。ピロリ菌を除菌をすると、胃酸の分泌が増え、結局胃酸が食道に逆流して胸焼けの原因になることがある。これを放置するとバレット食道という状態になり、食道癌の原因になりうる。胃酸過多を抑えるために制酸薬を飲む人も多い。ピロリ菌が体に住み着くことにも意味がないわけではないらしい。

治療には良い点も悪い点もあるため、例えば日本では、ピロリ菌の除菌を行う場合には胃カメラを行ってからピロリ菌によって胃炎が起こされていることを確認することが原則になっている。

人の体のバランスは目に見えない細菌の微妙なバランスで成り立っていたりするのだ。

対細菌兵器:抗菌薬

このバランスを崩す最大の原因となっているのが抗菌薬である。

はじめに断っておくが、本書は全体的に抗菌薬の過剰投与に対して批判的ではあるが、抗菌薬の正当な投与を批判しているわけではない。抗菌薬は20世紀の医療の中でもトップクラスの成功を収めた治療薬といっても過言でなく、抗菌薬のお陰で非常に多くの命を救うことができるようになった。古来から人間の最も主要な病死の原因だった感染症とまともに戦うことができるようになったのは抗菌薬のお陰で、昔は致命的だった感染症の多くを治療することができる。

一方で抗菌薬はその副作用が問題になることも多い。医学生ならば全員が習うように、抗菌薬は一定の頻度でアレルギーを生じることがあるし、腸内の細菌を死滅させてバランスを崩した結果、クロストリジウム腸炎(現在は正確にはClostridioides)という酷い下痢を生じさせることもある。他にも、抗菌薬によって歯の変色やら不整脈やら様々な副作用を生じることがある。また、抗菌薬を使っても、耐性菌が残り、それが増加してしまうというのも重要な事実である。

それでも、抗菌薬を使わないメリットよりも使うメリットが上回る場面では抗菌薬の使用は正当化される。

破壊される細菌叢と増える自己免疫疾患

本書で取り上げられる仮説は、この抗菌薬の副作用と体内の細菌叢の関係についてのことだ。

クロストリジウム腸炎でも取り上げたように、抗菌薬を使うと本来のターゲットでない体内に飼っておくべき細菌叢までがダメージを受けた結果予期せぬ副作用に見舞われることがある。

この細菌叢の破壊が、あまり認識されてこなかった病気の発生に関与しているのではないか、というのが著者の意見である。

確かに、喘息のような有名の病気から、I型糖尿病、潰瘍性大腸炎、セリアック病といった疾患は明らかに数十年前に比べて増えているという。これらは自分の免疫系が体に害をなす病気のグループに当たる。体の細菌叢が変化することによって、自身の免疫系に異常が生じ、それがこれらの病気の発症に関与しているのではないか、という仮説である。確かに、清潔になりすぎたことが自己免疫疾患を増やしているという仮説は以前より知られており、衛生仮説などとも呼ばれているが、あくまでまだ仮説の域を出ていない。

(ちなみに、体内に細菌、例えばピロリ菌、がいることによって引き起こされる自己免疫疾患(免疫性血小板減少性紫斑病; ITPなど)もあるため細菌がいれば全てオッケーというわけではない。)

このような異常状態の原因として、小さい頃の抗菌薬の乱用や、帝王切開(胎児が産道で細菌叢にさらされなくなる)が影響しているのではないか、というのが本書の主張である。

また、抗菌薬の使用が体のサイズを大きくしたり、肥満を増やしたりする、といったことも動物実験や、人を対象にした実験[1]でも確認されるようになっている。

こうしたことを減らすために、不必要な抗菌薬の使用を減らそう、というのは著者の主張であり、また、全世界的にキャンペーンとしても行われていることは知っておいても良いと思う。

最後に

内科外来の診療をしていると、「カゼを引いたので抗生物質を出してください」とはよく言われる。抗菌薬は必要な場面でしか使わないように意識をしているが、ほとんどのカゼには抗菌薬は効果がない。そうした場面ではあれこれと説明をして理解して抗菌薬を使わずに治療をさせてもらうのに少し時間を使うのだが、まだまだ一般的には抗菌薬は乱用されがちである。(これについては色々と専門家が苦言を呈しているので検索してみると面白いかもしれない。)

本書が取り上げるような話題はまだまだ仮説段階のものがほとんどではあるが、面白い分野と思って何年もフォローを続けている。私達がほとんど意識せずに共生している細菌が体の調子を整えるのに一役買っているというのは、本書が出版された後にも多くの臨床試験が行われて確かめられている。クロストリジウム腸炎や自己免疫疾患の一部では健康な人の糞便移植が著効することも示された。

常在菌と人間の健康の関連については長期間の観察が必要になることもあるため、理論を確立するにはまだ時間がかかる。過度に避ける必要はないものの、抗菌薬の乱用や医薬品の乱用が人間の体に与える副作用は存在することを意識していくことは医療関係者だけでなく一般の人も知っておいて損はないだろう。

COVID-19のパンデミックが広がる中、不安にかられて外来を受診する人も増えてきたし、「ジスロマック(アジスロマイシンという抗菌薬)もらっておけませんか?(COVID-19に効果が期待されている薬)」とお願いされることも多くなってきた。少しクールダウンする必要もあると思う。今回のパンデミックは薬剤耐性菌によるものではないが、いずれにしても確立された治療薬がないウイルスによるものだ。候補の薬は幾つもあるが、乱用すれば効果がない一方で副作用に苦しむ人も増えるかもしれない。また衛生機関などでも、未承認の薬の使用は安全性に配慮された臨床試験の中で行われることが推奨されている[2]。

[1] Antimicrob Agents Chemother. 2014 Jun; 58(6): 3342–3347.
[2] CDC: https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/hcp/clinical-guidance-management-patients.html

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