シン・ゴジラ

ゴジラの映画の中でも最大級と言われるゴジラが出現して首都圏を破壊しまくる、怪獣モノの映画として恐怖に満ちた存在として描かれる迫力に満ちていた。一方でこれはメタファー?と感じさせるような描写が非常に多く、そこから庵野監督が見ている現代の日本を感じた。比喩的表現から自分が感じた事を記憶が鮮明なうちに記載してみようと思う。過去の作品へのオマージュは考慮せず、本作のみについての感想になります。

====ネタバレを含みます====

一番大きな対立の構造としては、ゴジラ vs. 日本人。ゴジラは’God’+’-Zilla’として、ただの怪物ではなく「神」として例えられる。(-zillaという怪物を表す接尾辞自体はゴジラに由来しており、その循環的な意味の帰結には少し違和感があるが。)生物として進化した存在であり、人間を超えた存在。しかし人間との意思疎通は図れない。ゴジラの目的は不明であるが、”自然災害”には意図など必要ないといった描写で、”自然災害”として扱われている。一方で一人の教授の力によって目覚めさせられた人為的な存在でもある。その内部エネルギーは放射性の”新元素”によりまかなわれ、しかも一般の環境に存在する水や空気などのありふれた物質の摂取のみで維持することが出来る。ゴジラの解析をすすめるうちに明らかになった事実に対策チームは驚愕するとともに、その果てしない可能性を利用したい、といった言葉も発せられる。放射性物質を撒き散らしながら町を破壊しまくる様子は、”東日本大震災“、”放射能“や”原発“といったキーワードを彷彿とさせる。そこからは、人が生み出した技術は人間に牙をむく事もあるが、それをさらに利用してしまおうという人間の飽くなき探究心も垣間見える。作中ゴジラは初めて東京に現れた後に成長のため消える。ひとしきり暴れた後も一旦エネルギーの再充填を兼ねた休止期間に入るが再度動き出す。ラストシーンで活動を停止した後も復活が示唆される。また、無性生殖の可能性やラストシーンでの新たな脅威の示唆など、新たな形での災厄までも示唆される。英語の題名であるGodzilla resurgenceが指す通り、ゴジラは繰り返し現れる脅威であり続ける。人間にとっての自然のように。

一方の側は日本人。ストーリーには諸外国も絡んでくるものの、キャラクターの描写には乏しい。日本人も”一般市民”と”エリート”に大別され、本作では一般市民は個性を失った存在になる。

市民の声はtwitterを通じて匿名の声としてしか聞かれない。逃げ惑う大衆の他に幾つか民衆がクローズアップされる場面がある。印象に残ったシーンは逃げるために大事なものをスーツケースに詰め込んでいる間にゴジラにマンションを踏み潰される女性、老人をおんぶしながら移動して避難が遅れゴジラへの武力攻撃が中断される原因となる女性。何故か避難所の老人は皆マスクをする。あらゆる道・高速道路では車・バスが渋滞をなす。その中僅かな隙間に横入りして少しでも進もうとするバス。ゴジラ放射能というキーワードが出た夜にデモを行う音だけが響く描写。「今それをやるの?」といった行動をするキャラクターに違和感を覚えたが、これが監督が見ている市民なのだろうか?

ゴジラの出現という未曾有の事態に対処するエリートたちは政治家・官僚・専門家たちである。これらのエリートも「既存勢力」と「新時代」のエリートに二分される。

初めに出てくる総理大臣や各省庁の大臣たちはとにかく会議を開きまくるが結論有りきで何も進まない。自分たちの立場からの意見しか言わない。また、記者会見でも失言を言わないことばかりが重要視される。御用学者たちも自分たちの立場から分かることだけを発言し、それ以外は分からないとしか言えない想像力の欠如した代表として描かれる。とにかく既存の日本の権力は保身に走っている事が揶揄される様子だ。総理大臣も責任感が非常に強いが自らの意見はほとんど発信せず各省庁の承認を行うのみである。

主人公を初め、ゴジラ対策に特別に編成されるチームは若く、野心にあふれた若者たちからなる。殆どが溢れ者の官僚や専門家たちではあるが非常に優秀で、それぞれの専門を活かして情報をどんどんと明らかにして最終作戦を立案する。エリートたちはほとんどの場面を会議室などで過ごし、ゴジラという実態を見るのは1度程度であったが、最後の作戦の場面では主人公は前線に立ち一部始終を見届けながら指揮をとる。旧時代と新時代の対比を表しているようである。若者が10年後の日本を背負って立つ希望の存在であり、優秀な若者は尽きることなくたくさん日本にはいる、といった希望のメッセージも含まれている。

諸外国についてはおせっかいな存在として書かれる事が多かった。日本が攻撃しなかった胴体に攻撃することでゴジラをさらに成長させてしまう、また、ゴジラを生み出す原因となった研究を主導した黒幕的な存在として描かれるアメリカ。国連は日本の意思と関係なく核兵器を使用することを決定する。後半に描かれる日本の首相は無能な狸爺のように描かれるが最終的には外国からの圧力から解放され自分が正しいと思う決断をする。外交力を発揮して影の支援者として活躍して最後には潔く新時代の若者に立場を譲る。最初の無能な印象とは変わって最後の最後には少しかっこ良く描かれている。

迫力のあるゴジラのシーンと共にこういった描写から様々なメッセージ性を感じた。日本ってこんなだよね。自然災害や人間の技術の事故って恐ろしい。若い力でまだまだ日本は蘇るよ。と。

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