古代から現代に至るまでの統計学の発展の壮大な物語
本書では歴史的な変遷とともに、統計学がどのように発展していったのか、またその各時点において、どのような議論が起こったのかを、縦断的に俯瞰する。もともとは、日本統計学会の雑誌に連載されていた原稿を手直しして一冊の本にまとめたもののようだ。なので、トピック間で少し重複した言い回しが見られる。
本の分厚さとしては550ページと、そこそこ分厚いが、それ以上に中身が非常に重厚だった。このボリュームを冗長になること無く、むしろ紙面が足りないのではないかというほどに濃密に書ききった著者の竹内先生に驚嘆した。あまり詳しくなかったのだが、一世代前の統計界隈の重鎮で、Wikipediaを見るとおびただしい業績にこれまた驚いた。
統計学の始まりとなったのは、国が税金を徴収するための人口統計だった。中国やローマの頃から数千万人規模の人口統計は取られており、中国に関しては一貫してその記録が残っているため、歴史の貴重な資料になっているという。ちょうど前回紹介した「教養としての中国史の読み方」でもその点はとりあげられていた。本書は歴史観の本ではないので、しばしば挟まれる著者の歴史観については全て鵜呑みにする必要は無いかとは思うが。人口統計が取られ始めた頃は統計と行っても集計をするだけだった。驚くことに、確率論という概念が登場するのは近代になってからで、たった数百年前のことだった。その前に発展した政治算術は今ではほとんど使われない言葉になっている。
確率論は、パスカル、ベルヌーイ、ドゥモアブル、ベイズ、ラプラスなどどこかで名前を聞いたことがあるような数学者たちが基礎理論を固めていった。
18世紀以降になり、確率論を元にして統計学が発展していった。この頃の人物としてケトレーが紹介されている。その後、統計学は優生学の流行とともに生物学・遺伝学などの研究者が濃く関与していった。優生学はその後脆弱な根拠とともにジェノサイドの根拠とされるなど血塗られた歴史を持つが、現在ではその有効性に疑問がもたれて社会から追放されている。しかし、本書によると20世紀の終わり頃まで政策が続いていた事は驚きだ。こうした生物学界隈出身者のカール・ピアソン、R.A.フィッシャー、そしてその頃対比的に検証されたと思われるベイズ理論に関係する話題は本書の約半分を占めるほどの分量を占める。
一般書を読み始めたつもりが、大学院レベルの統計学の教科書並の数式の羅列になっていったのには正直面食らったので、おそらく大学で未履修だったりや事で統計を使わない方にはあまりおすすめしない。ただ、20世紀になり統計学が数学的により厳密に論じられる対象になっていったことはよく分かるだろう。古代統計はかなり主観的な記述も多いように思うが、近代統計の議論は非常に科学的にかかれている。
また、20世紀になり経済学や、工業生産など、現実的な世界への応用が進んでいった。そして近年になり100年以上の時を越えて復活・台頭してきたベイズ統計学は、昨今のAIブームの根底を支える理論でもある。21世紀はデータの世紀などと言われるようにビッグデータの分析などについても意見を見ることができる。
統計学がどのように応用されていくのかは非常に注目が集まっているところではあるが、統計学が正しく使われていくのかどうかへの著者の不安も見られる。医療系でも統計学的な解析は非常に多く行われているが、集団の統計学的分析を個人の推定に利用してよいのか、といった根本的な問題は解決していないことも指摘されている。確かに、昨今のコロナウイルス関連の論文の捏造や、ワクチンに関する無責任な報道など、書き手・読み手が適切に利用できていないようなことも多い。人の命を左右する学問であるからには、インパクトファクターを目的だけにしたような安易な研究発表などは謹んでいかなくてはならないと感じる。
本書はガチよりのガチな書籍なので、かなりな難読書だが、近代の統計学に関する議論や批判など、教科書よりもさらにメタ的な視点で理解できる書籍はなかなか見ないように思う。一方で、最近話題になっているような機械学習的、サンプリング、ニューラルネットワーク、画像認識などなど、いわゆるAI的なお話はほとんど無い。現代のAIブームもやや陰りが見えつつあるように思えるが、数十年後、現代のAIブームが歴史的な笑いものになるのか、インフラとしての地位を築いていくのかは個人的にはとても興味がある。もっとも、21世紀初頭から見たこれまでの人類が成し遂げてきた統計学の発展を俯瞰する本として、本書は素晴らしい大著だと感じた。
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