遺伝子―親密なる人類史(シッダールタ・ムカジー)

Book
 
現代はポストゲノム時代といわれる。2003年、ホモ・サピエンスの全ゲノム配列の解読が終了した。その後の研究者の注目はエピゲノムや疾患遺伝子などに向かい、CRISPER-CAS9のような画期的な遺伝子編集技術が登場したことによって、そう遠くない未来には昔から夢見られていたような遺伝子治療が現実になるのではないかと考えられている。2010年代に臨床応用された治療でCAR-Tが米国では承認を得た。CAR-Tは白血病などの疾患の治療のために遺伝子改変を行ったリンパ球を体内に入れて白血病細胞を駆逐する。従来治療が難しかったような患者でも寛解をもたらすことが期待されている。
 
本書の著者であるシッダールタムカジー氏はインド出身の米国の医師で、専門は腫瘍学、血液学だそうだ。以前の著作である「病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘」は素晴らしい本で自分の専門ながらに多くを学ぶ本だった。本作は遺伝子にまつわる人類の歴史を俯瞰する内容になっている。
 
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遺伝学

 
遺伝学の歴史は浅い。ギリシャの時代にはアリストテレスが遺伝について記述を残していたし、中世ヨーロッパではホムンクルス説なども登場していたが、あくまでこれらは空想の産物であり哲学の中の一部でしかなかった。サイエンスとしての遺伝学の扉をノックしたのはメンデルだった。
 
メンデル遺伝学は生物を習っていれば高校生でも知っている。エンドウマメの観察から遺伝の法則に関する歴史的な論文を発表したのがメンデルだ。しかし学問の世界で評価されなかったメンデルとその論文は忘れ去られ、20世紀になってからようやく発見される。
 
他方、ガラパゴス諸島の生物の観察などから「種の起源」を記したダーウィンも遺伝学の祖といっても良い存在だろう。世代を下り形質が受け継がれていくことや、孤立した環境での形質の違いから進化という概念にたどり着いた。
 
概念が出てきた頃はまだその遺伝情報の運び屋が一体何であるかは解明されていなかった。モーガンによるショウジョウバエの遺伝や突然変異の研究などから遺伝の法則については理解が進んでいたものの、遺伝の運び屋がDNAであることが明らかになるまではそこからまだ時間が必要だった。
 
DNAかタンパク質のどちらが遺伝子の運び屋かといった議論の末、遺伝子の運び屋としてのDNAの役割が明らかになった後、1950年代になりワトソン・クリックがnatureにDNAの構造についての歴史的な論文を発表した。
 

優生学

 
遺伝の法則は世界に優生学のブームを巻き起こした。ナチスによるホロコーストは非常に有名な大虐殺であり20世紀の汚点として忘れられることは無いだろう。ドイツは歴史的な経緯から人権や優生学などには非常に敏感な立場となっている。
 
本書を読むまで私もあまり知らなかったのだが、当時アメリカでも優生学は当たり前のように信じられていた。知的障害と診断されて去勢された女性の話が本書でも紹介されているが司法のレベルでも去勢を正当化していた時代があった。時々新聞で記事が掲載されているが日本でもそれは同様で、「劣った人」とみなされた人は強制的に不妊手術を受けさせられたりしたこともあったようだ。
 
「劣った人」を社会から取り除くことで「劣った遺伝子」を社会から減らしてより人間を進歩させるといった考えに基づいていたようだ。しかし重要なのはこのような考えに基づいた政策では実際に対象とする遺伝子を取り除くことは困難だということだ。遺伝子は対になるものであり、形質だけをみてその遺伝子を2つ持っている人に子孫を残さないようにしたところで、遺伝子を1つ持っている人は社会に残るため対象の遺伝子は人々の遺伝プールの中に残る。
 
かつての優生学は現在では過去の歴史になりつつある。ただ、現代の医学は再び優生学の考えとも対峙しつつある。遺伝子の解析技術の発達により、受精卵が着床する前にその受精卵の遺伝子を検査することさえもできるようになっている。遺伝性疾患を持つ可能性が高い子供を妊娠した時に人工中絶を行うかどうか、というのは現代の医学が直面する優生学的な問題だ。仮にすべての人が次の世代に特定の遺伝子を持った子供を残さなかったとしたら時間をかけて人類から特定の遺伝子が排除される可能性がある。
 
こうしたことが国のレベル、個人のレベルの判断でコントロールが可能になってきている。
 

ポストゲノム時代にいたるまで

 
ワトソン・クリックによるDNAの二重螺旋構造の解明の後は分子生物学の時代が訪れた。セントラルドグマという、DNAからRNAへの転写、タンパク質への翻訳の過程が明らかになり。遺伝の暗号が徐々に明らかにされるようになった。
 
DNAのコードはサンガーなどにより詳細に読まれるようになり、その末には膨大な規模のヒトゲノムをすべて解読するプロジェクトが立ち上がり、21世紀のはじめ頃にはすべての解読もできるようになった。
 
現在ではタンパク質・ペプチドベースの医薬品は飛躍的に増えるようになった。また、ヒトの遺伝子は2万1000あるといわれているが、それぞれの役割、異常が起こす疾患についての理解も徐々に進んできている。
 
生来もつ遺伝子だけでなく、生まれた後の細胞の状態、遺伝子の修飾による細胞の機能の変化も注目を浴びている。精神疾患のように遺伝子の影響を受けるものの環境にも左右される疾患があるように、受け継いだままの遺伝子の配列だけではある人の運命を決定づけることはできない。本書では双子研究もとりあげられており、遺伝による運命の支配はある程度はあるはずだが絶対ではないことも知られている。
 

読んだ後の感想

 
オバマ大統領が宣言した「Precision Medicine」には将来を期待している。Precision Medicineも言葉がさまざまな場面で使われて意味が曖昧になっているが、原義としては、遺伝情報を個別に取得することで疾患の病態・性質に合わせた治療を個別に行うことを指していると思われる。
 
このような概念にたどり着くまでにメンデルの時代から約150年を要した。前書のがんの4000年の歴史に比べれば大した長さではないかも知れないが、ここまで生物学が発展を遂げるためには果てしない研究者の探求が必要であったことは間違いない。
 
本書に似た内容であれば、福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」の方が読みやすいかも知れない。また、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」も古い本ではあるが名著。本書の半分くらいは遺伝子にまつわる学問が150年かけてどのように発展してきたかに割かれている。ワトソンやクリックの話などは高校生物を思い出すような話で馴染みがある人も多いかも知れないし、大学で生命科学を学んでいれば本書の多くの内容は知っていることかも知れない。
 
ただ、本書は教科書ではない。随所に挟まれる著者の家庭が経験してきたエピソードは遺伝学の暗い側面を映し出す。優生学もそうだが、精神疾患や家族性の疾患は社会の中で差別対象になりうる重い側面をもつ。著者の家系に頻繁に現れる精神疾患は自身の未来への不安を掻き立てただろう。また、疾患による家族への影響、患者を社会から隔離することへの背徳感などから感じたことなのだろうが、倫理的な議論に入り込もうとしている点が本書の特徴だと言える。
 
本書で紹介される最新のサイエンスはヒトの設計書すら変える可能性を秘めている。イギリスでは遺伝子改変ベビーが生まれるかも知れないということも報道(
https://www.theguardian.com/science/2018/jul/17/genetically-modified-babies-given-go-ahead-by-uk-ethics-body )されている。致死的な疾患により早期に死亡する可能性を秘めた当事者にとってみればそれで長命が得られるのであれば遺伝子改変技術はメリットをもたらすだろう。実際に先天性の疾患に対して生後に遺伝子導入を行う治療も行われている。しかし前者が後者と大きく異なるのは、前者の技術は生殖細胞系列に影響を及ぼすことであり、その後の子孫も同じ形質を受け継ぐ可能性があることだ。こうした遺伝子改変技術は今後のヒト全体に影響を与えうる技術であり、だからこそ深い議論が必要だとされている。また、冒頭で紹介したCAR-Tは一回あたり数千万〜億の単位でコストがかさむ治療となっている。こうした技術のニーズはニッチでしかも手がかかるため費用の低下は限定的かも知れず、一度社会に導入したからと言って経済状況によっては支え続けるのは難しいかもしれない。
 
自身がこうした世界の真っ只中にいるので本書はとても興味深く読ませてもらったが、これまでにあまり触れたことが無い方にもぜひ触れてみてほしい世界ではある。
 
 
https://drkernel.net/archives/117
 
 

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